2009年02月01日
リストラの日 - ドージマファイターの思い出
1月30日
川崎10R立春特別結果
雨が降り続き4Rから馬場状態は不良
▲4番ノースダンディの競走成績を再確認すると不良実績なし
三連複を変更し、10-14→4,6,9,11,13
ワイド6→10,14
私の疑問を嘲笑うかのようにノースダンディは後続をぶっちぎって逃げ切り勝ち
あざやかな勝ちっぷりでしたllllll(-_-;)llllll
やんちゃなノースダンディの大差の2番手だったのは14番コスモスパーブで3番手に上がってきたのはなんと8番クリノソーニャΣ(・ω・ノ)ノ!
あ~買ってない~
と冷や汗かいたらその外側からぐんぐん上がってくる一頭!!
不良が得意の6番マイネプレリュード(12番人気)がゴール寸前でクリノソーニャを差して3着
ワイド6-14(2,700円)的中し、今週もオケラは逃れました
1週間の回収率は75%
先週よりわずかに低いですが、またもや12番人気の牝馬とベテラン騎手に救われました。

返し馬はやらずに馬場に入場するとすぐに待避場所に入ってしまうし、
レースはどちらかというと後方追走なので彼女が走っている写真(中央が彼女)はこんな後ろ姿しかない。
思いっきり砂をかぶって、今日の不良馬場ではきっと戸塚宿特別を勝ったときのようにドロドロだったでしょう。
計量不能のマイネプレリュード、ありがとう
先週に引き続き“不良婆には不良馬場が合う”ということですな
マイネプレリュードももう7歳。馬の年齢ではおばさんの領域

「失礼ね!あなたといっしょにしないでよ
」
すみません(^o^;)


桑島孝春騎手、的場文男騎手、ありがとうございます↓┌(_ _)┐↓
水曜日、川崎記念観戦のため休暇をもらい、水曜日に出社したら本社のCEOから全社員に宛てたメールが届いていました。
要約すると不況と業績不振により、いたしかたなく社員の10%を解雇しなければならなくなり、対象者には金曜日までに告知するという内容。
いよいよ来る時がきた。
昨年末以来そういうときがくるかもしれないということで、もしそうなったらどうしようかと考えたが、まだ現実感がなく具体的には考えられなかった。
しかし、漠然とそれを機に念願の北海道移住を実行しようとはおぼろげながら考えていた。
木曜日、上司は来日したその上役と一日中密室にこもり、ほとんど顔を合わせることはなかった。
そして、金曜日
お昼前に上司の部屋に呼ばれ、ようやく仕事の指示
各国の終業時間に居残る社員を招集して会議をする
それまでに解雇の対象者に通知をおこない、名前を知らせるからそれ以外の社員に召集状を出してほしいとのこと
その時点で自分は解雇の対象者ではないことを知らされ、安堵と失望が混在。
それから上司からの連絡をまち、一日中会社全体に異様な雰囲気が漂い仕事に集中できなかった。
会議招集時間の30分前くらいにようやく待っていたメールが届き、各国の居残り社員宛てに会議出席依頼を送信。
日本は夕方5時半に会議が行われ、解雇の対象となった社員への告知は全て終了し、ここに集まった社員には引き続き頑張ってほしい。
疑問質問などがあれば受け付けるという内容。
複数のQ&Aが取り交わされ、会議終了後はいつもなら夜遅くまで作業をしている人たちも仕事にならなかったらしく、
ひそひそと誘い合わせて飲みに出かけた様子でした。
緊迫の2日間でどっと疲れた自分も帰宅して食事を作る気力はなく、たまに行く定食屋で食事をすませて行きつけの喫茶店に入った。
土曜日のばんえい競馬の出走表を広げてみたが予想する気力もわかなかった。
前日に解雇されるかもしれないとメールで知らせてしまった友人に自分は対象から外れたことを報告し、しばらくメールのやりとりをして帰宅した。
ブログを更新する気力はなく、思わず6年前に撮ったドージマファイター写真を開いた。

1995年7月22日に美浦、佐藤全弘厩舎所属でデビューした彼は5戦目の未勝利戦で3着の後、
右前脚の管骨にヒビが入ってしまい、全治3ヵ月
休養明けには未勝利戦の出走が不可能だったため、佐藤全弘厩舎で厩務員をしていた
宇都宮競馬場の手塚佳彦調教師の息子(現・手塚貴久調教師)さんの伝により宇都宮競馬場に移籍。
後に怪物と呼ばれることになるブライアンズロマン(生涯成績63戦43勝2着12回)が
デビューから19戦17勝2着2回で宇都宮競馬場のトップホースだった頃です。
1996年2月7日の移籍初戦から2000年11月19日までの4年9か月の間に裂蹄と闘いながら29戦29勝し、
バブル崩壊後から不況に喘いでいたご時世に「リストラの星」と呼ばれたそうです。

2003年8月19日初めて北海道の馬産地を訪問しました。
台風10号が北海道を襲った直後であちこちに被害の跡が残っていました。
そして新冠ホロシリ乗馬クラブでドージマファイターに会いました。
写真の通り地味でおとなしいお馬さんでしたが、達成した記録が示す通りとても賢そうでした。
このころ自分は運転免許を持っていなかったのでこの旅行の最初の3日間は車を運転できる同僚に付き合ってもらいました。
そのためドージマファイターの横で顔をくしゃくしゃにして笑う自分が写ってる写真もあります。
現役時代の話は聞いただけで全く知らないのに妙にドージマファイターに惹かれてしまいました。
友達と別れてからは電車、自転車、タクシーを利用して5日間くらい一人でウロウロした良い旅でした。
しかし、やはり車がないと不便。
翌年教習所に通い始めてなんとか運転免許を取得した私は無謀にも2005年1月末に再び馬産地を訪問
免許取り立てで友達の車で那須に行き、友達の車をぶつけてしまった後、2回目の運転は千葉の館山でレンタカーを借りて運転、
3回目のドライブが雪の北海道
雪に埋まって抜け出せなくなり、通りかかったジープの白人二人に牽引してもらうというハプニングはありましたが、無事でした^_^;
しかし、ドージマファイターに会いたくて乗馬クラブに電話をし、彼がこの世を去ったことを知りました。
私が彼を見た直後くらいに馬術競技練習中の事故で亡くなったと知らされ、免許も車もありましたが、
涙の膜で前が見えなくなりその日はそれ以上運転できませんでした
運命は時に実に残酷です。
なぜ彼がそんな終わり方をしなければならなかったかと運命を恨みました。
しかし、宇都宮に移籍せず中央に残っていたら彼の一生はもっと悲惨だったかもしれない。
無敗の英雄として人々に夢を与え、愛された功績がたった一度だけ会えた彼の満ち足りた表情にあらわれているのか、
辛いことがあると彼の写真を見て元気をもらいます。
喫茶店で解雇の対象となった人たちの顔を一人づつ思い浮かべていたら苦しくなった。
不運が後にプラスに発展することを祈っています。

応援よろしくお願いします
一日一善
川崎10R立春特別結果
雨が降り続き4Rから馬場状態は不良
▲4番ノースダンディの競走成績を再確認すると不良実績なし
三連複を変更し、10-14→4,6,9,11,13
ワイド6→10,14
私の疑問を嘲笑うかのようにノースダンディは後続をぶっちぎって逃げ切り勝ち

あざやかな勝ちっぷりでしたllllll(-_-;)llllll
やんちゃなノースダンディの大差の2番手だったのは14番コスモスパーブで3番手に上がってきたのはなんと8番クリノソーニャΣ(・ω・ノ)ノ!
あ~買ってない~

と冷や汗かいたらその外側からぐんぐん上がってくる一頭!!
不良が得意の6番マイネプレリュード(12番人気)がゴール寸前でクリノソーニャを差して3着

ワイド6-14(2,700円)的中し、今週もオケラは逃れました

1週間の回収率は75%
先週よりわずかに低いですが、またもや12番人気の牝馬とベテラン騎手に救われました。

返し馬はやらずに馬場に入場するとすぐに待避場所に入ってしまうし、
レースはどちらかというと後方追走なので彼女が走っている写真(中央が彼女)はこんな後ろ姿しかない。
思いっきり砂をかぶって、今日の不良馬場ではきっと戸塚宿特別を勝ったときのようにドロドロだったでしょう。
計量不能のマイネプレリュード、ありがとう

先週に引き続き“不良婆には不良馬場が合う”ということですな

マイネプレリュードももう7歳。馬の年齢ではおばさんの領域


「失礼ね!あなたといっしょにしないでよ

すみません(^o^;)


桑島孝春騎手、的場文男騎手、ありがとうございます↓┌(_ _)┐↓
水曜日、川崎記念観戦のため休暇をもらい、水曜日に出社したら本社のCEOから全社員に宛てたメールが届いていました。
要約すると不況と業績不振により、いたしかたなく社員の10%を解雇しなければならなくなり、対象者には金曜日までに告知するという内容。
いよいよ来る時がきた。
昨年末以来そういうときがくるかもしれないということで、もしそうなったらどうしようかと考えたが、まだ現実感がなく具体的には考えられなかった。
しかし、漠然とそれを機に念願の北海道移住を実行しようとはおぼろげながら考えていた。
木曜日、上司は来日したその上役と一日中密室にこもり、ほとんど顔を合わせることはなかった。
そして、金曜日
お昼前に上司の部屋に呼ばれ、ようやく仕事の指示
各国の終業時間に居残る社員を招集して会議をする
それまでに解雇の対象者に通知をおこない、名前を知らせるからそれ以外の社員に召集状を出してほしいとのこと
その時点で自分は解雇の対象者ではないことを知らされ、安堵と失望が混在。
それから上司からの連絡をまち、一日中会社全体に異様な雰囲気が漂い仕事に集中できなかった。
会議招集時間の30分前くらいにようやく待っていたメールが届き、各国の居残り社員宛てに会議出席依頼を送信。
日本は夕方5時半に会議が行われ、解雇の対象となった社員への告知は全て終了し、ここに集まった社員には引き続き頑張ってほしい。
疑問質問などがあれば受け付けるという内容。
複数のQ&Aが取り交わされ、会議終了後はいつもなら夜遅くまで作業をしている人たちも仕事にならなかったらしく、
ひそひそと誘い合わせて飲みに出かけた様子でした。
緊迫の2日間でどっと疲れた自分も帰宅して食事を作る気力はなく、たまに行く定食屋で食事をすませて行きつけの喫茶店に入った。
土曜日のばんえい競馬の出走表を広げてみたが予想する気力もわかなかった。
前日に解雇されるかもしれないとメールで知らせてしまった友人に自分は対象から外れたことを報告し、しばらくメールのやりとりをして帰宅した。
ブログを更新する気力はなく、思わず6年前に撮ったドージマファイター写真を開いた。

1995年7月22日に美浦、佐藤全弘厩舎所属でデビューした彼は5戦目の未勝利戦で3着の後、
右前脚の管骨にヒビが入ってしまい、全治3ヵ月
休養明けには未勝利戦の出走が不可能だったため、佐藤全弘厩舎で厩務員をしていた
宇都宮競馬場の手塚佳彦調教師の息子(現・手塚貴久調教師)さんの伝により宇都宮競馬場に移籍。
後に怪物と呼ばれることになるブライアンズロマン(生涯成績63戦43勝2着12回)が
デビューから19戦17勝2着2回で宇都宮競馬場のトップホースだった頃です。
1996年2月7日の移籍初戦から2000年11月19日までの4年9か月の間に裂蹄と闘いながら29戦29勝し、
バブル崩壊後から不況に喘いでいたご時世に「リストラの星」と呼ばれたそうです。

2003年8月19日初めて北海道の馬産地を訪問しました。
台風10号が北海道を襲った直後であちこちに被害の跡が残っていました。
そして新冠ホロシリ乗馬クラブでドージマファイターに会いました。
写真の通り地味でおとなしいお馬さんでしたが、達成した記録が示す通りとても賢そうでした。
このころ自分は運転免許を持っていなかったのでこの旅行の最初の3日間は車を運転できる同僚に付き合ってもらいました。
そのためドージマファイターの横で顔をくしゃくしゃにして笑う自分が写ってる写真もあります。
現役時代の話は聞いただけで全く知らないのに妙にドージマファイターに惹かれてしまいました。
友達と別れてからは電車、自転車、タクシーを利用して5日間くらい一人でウロウロした良い旅でした。
しかし、やはり車がないと不便。
翌年教習所に通い始めてなんとか運転免許を取得した私は無謀にも2005年1月末に再び馬産地を訪問
免許取り立てで友達の車で那須に行き、友達の車をぶつけてしまった後、2回目の運転は千葉の館山でレンタカーを借りて運転、
3回目のドライブが雪の北海道
雪に埋まって抜け出せなくなり、通りかかったジープの白人二人に牽引してもらうというハプニングはありましたが、無事でした^_^;
しかし、ドージマファイターに会いたくて乗馬クラブに電話をし、彼がこの世を去ったことを知りました。
私が彼を見た直後くらいに馬術競技練習中の事故で亡くなったと知らされ、免許も車もありましたが、
涙の膜で前が見えなくなりその日はそれ以上運転できませんでした

運命は時に実に残酷です。
なぜ彼がそんな終わり方をしなければならなかったかと運命を恨みました。
しかし、宇都宮に移籍せず中央に残っていたら彼の一生はもっと悲惨だったかもしれない。
無敗の英雄として人々に夢を与え、愛された功績がたった一度だけ会えた彼の満ち足りた表情にあらわれているのか、
辛いことがあると彼の写真を見て元気をもらいます。
喫茶店で解雇の対象となった人たちの顔を一人づつ思い浮かべていたら苦しくなった。
不運が後にプラスに発展することを祈っています。




一日一善